提灯職人の技

『多くの職人たちは、
世間にその名を知られることはありません。
しかし、彼らが親切にこしらえた品物の中に、
彼らがこの世に活きてきた意味が宿ります』

柳 宗悦 「手仕事の日本」

提灯の型(かた)にヒゴを巻き、
糊を打ち和紙をのせる。

刷毛で丁寧にいせ込み、
糊を乾燥させた後、
型(かた)を抜く。

上下の輪っぱを取り付け、
ひごに沿って折りたたむ。

この一連の作業の中に、
どれほどの職人の技(わざ)が
盛り込まれているか、
想像できる人は
少ないことでしょう。

提灯職人  伏谷 幸七

現社長 伏谷幸七は昭和二五年(一九五〇年)中学卒業と同時に名古屋市内の提灯工房で提灯作りの修行を始めました。

 現代でも物作りの町として知られる名古屋は、提灯の世界においても当時全国有数の生産地でした。提灯の産地としては岐阜、八女が有名ですが、名古屋は岐阜にも近く提灯の材料となる和紙やひご・木材が手に入り易く、また人手を要する提灯張りの工程は、特に人口が集まっている名古屋が盛んで、市内にもたくさんの工房が立ち並び、職人たちも互いの腕を競い合い技術を高めていました。

 その中で提灯職人 伏谷幸七は江戸時代より伝えられた伝統技法を習得し、昭和三七年(一九六二年)に独立し提灯製造の「伏谷商店」を創業しました。以来、五〇年以上もの長きにわたり、提灯一筋に作り続けてきています。

現代においても、提灯は生活の様々な場面で使われています。看板提灯、神社仏閣の奉納提灯、盆提灯、照明用の提灯シェードなどなど、日本の伝統的な生活様式や風景に、提灯は欠かすことの出来ない物として求められています。しかしそれとは逆に、熟練した提灯職人の数は年を追うごとに減少してきており、かなりの数の提灯が海外で作られているというのが今の実態です。

 その中で、「幸七」の提灯は全て職人の手によって国内で製作されています。それは丁寧な仕事にこそ職人の魂が宿ると信じているからです。一つの提灯、ひとつの灯りに、提灯職人の経験と技(わざ)と、誇りがこめられているのです。